今年の陸上競技の高校総体は、広島県だそうですね。
そして来年は滋賀県だと聞いています。
しかし、我々の頃は「インターハイ」と呼んで、球技系の子らが「インハイ」と言っていた気がしますが、いつの間にやら「インハイ」が共通呼称になっているのにびっくりします。
さて、私が高校生の頃の話ですが
◆高校2年(1986年)
東海ー瑞穂・愛知県
全国ー山口・山口県
国体ー甲府・山梨県
◆高校3年(1987年)
東海ー草薙・静岡県
全国ー札幌厚別・北海道
国体ー沖縄・沖縄県 が会場でした。
※私は1986年の国体は出場していません。
高校3年時は上記の通り、インターハイは北海道。国体は沖縄県と北と南の端っこでの開催で、周りからも羨ましがられたものです。
7/31 北海道入り
8/1 開会式・最終調整
8/2 予選・決勝 という日程。
北海道入りの日は、少し涼しい程度だった記憶があります。
確かその前日までは25度以上あったように聞いていたと思います。

しかし、8/2の試合当日は最高気温が20度。
ジャージの上下を着ても寒く、高体連の運営側から宿泊施設や組合へのお願いで、毛布を貸し出していました。

ネットに囲まれたコンクリート製のサークルと呼ばれる円から投げるのですが、当時は新しい競技場の場合、丸い波紋のような溝に近い模様がつくことが多かったです。
今は、室伏広治君のおかげで、どちらかというとツルツルのようなキメの細かい状態になっています。
ザラザラでクルクル回るハンマー投げでは、私のように全体のバランスで投げるようなタイプの選手にとっては回りづらい相性の悪いサークルになるわけです。
上手く回れずに強引に回ったおかげでハンマーが最後のフィニッシュ動作でコンクリート面にチップしてしまったけど、予選通過記録を約2メートル超えて1発で予選通過。
しかし、決勝では風が少々強かったのもあったのですが最初の3本ともハンマーの取手がネットに当たってしまい、ギリギリ8番手でベスト8通過。
その後も4投目、5投目も取手がネットに当たり、それほどタイミングが良くなかった6本目だけがネットに当たらずに飛んでいった。
それが決勝記録になり、4位になった。

多分、ネットに当たってなかったらもっと人生が変わっていたと思う。
まぁ、人生ってそんなものでしょうかね😁

↑記事内画像は、月刊陸上競技1987年9月号より
競技終了後、速やかに表彰が行われる。
が、賞状の準備と表彰式の準備ができるまでの間、本部席の後ろの方で待っているのだが、いかんせん初日の決勝のため、記者の方々が多くいました。
今でも思い出すのが、その表彰式が遅くなってしまい、5時近かったと思いますが、その時に競技場の気温表示は13度!
その数字だけは、衝撃的で今でもはっきり覚えています。
そんなインターハイ・高校総体でした。
当時、ラグビー部員だった高校生が試しに出た地元の記録会で、いきなり当時の高校日本記録(手動計時:ストップウォッチ)10秒1を出して話題になった年です。
ちなみに沖縄海邦国体は10月の末だったのですが、こちらも当時では以上な気象で30度越えでした。


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