追悼 東京の母

投稿者: | 2023年3月7日

 日本女性投擲選手で初めてオリンピック(東京オリンピック)に出場(地元枠ではあるが)し、日本大学初の女性教授(だったと記憶している)の椛澤聖子(かばさわせいこ)元日大教授が亡くなったと連絡がきた。

 50代以上の陸上が好きでやっていた人なら、長きにわたって陸上競技マガジンの指導欄で連載されていたのでみたことはあるだろう。

 当時、東京の母として慕っていて、お父さんや息子さんと共にご家族ぐるみの付き合いをさせていただいた。


小澤ー!は・し・れ!走んなさーい!

本当に良く言われました。今でも耳に残ってます。

もっと投げなさーい!


と、東京世田谷桜上水の日本大学陸上競技場のフィールドの片隅に椅子を出して座ろうとした姿を見ると、我々学生は「ハマっちゃいつ終わるかわからん!」と慌てて投げを切り上げたりして(笑)
 はまるとプラス2時間は当たり前でしたし。

 今思えば、もっとみてもらえればよかったと思うのは、遥か昔のことだから?
 それとも競技を退いたからでしょうか?

 学生時代、院生時代、研究生時代と普段からティーチングアシスタントのようなことをしていたので、頻繁に研究室や実験室、先生方がお昼などを食べる会議室に出入りしていた。
 そして色々と姿を見かけるから、他の教授たちから当時流行ってた「いいとも青年隊」ならぬ「椛沢青年隊」と名付けられたりしていました。


 自分が大学の講師の審査を受けるにあたって、恩師で師匠の森健躬先生(同学科教授・脊椎外科医)と共に裏からの強力なサポートがあったおかげで、その職につくこともできました。
 まだその恩をまだ返せてないのがつらい…


 また、卒業後も相撲観に行ったり、稲取の海で海水浴したり、三島でうなぎ食べに行ったり、長岡の温泉街行ったり懐かしい思い出です。

 自分が投擲で育てた選手は東海大の石田義久先生に繋いだ一人だけですので、今まで遊んでしまった分、どこかで投擲種目に貢献します。

 母上、一緒に青春を歩んでいただき、ありがとうございました🙏
 次巡り会えた時は、また一緒にジョグしてください。

 近いうちにお会いできると思いますので、父上と2人とも暫しお元気で。

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